わた

もともと綿は熱帯・亜熱帯地方を原産地とする植物ですが、日本在来種は比較的寒さに強いので、かつては東北や北陸の一部でも作られていました。

明治時代になって自由に作物が作れるようになると、綿は有力な換金作物となりましたが、国策として養蚕業が盛んになるにつれ、綿畑は急速に桑畑に替わってしまいました。千葉県下で聞き取りをした綿の種蒔きから織りまでの工程の概略は以下の通りです。


種蒔き

5月半ばに種を蒔きます。日当たりのよい畑を選びます。

布衣風衣の建物の前は、わた畑になっています。在来種のわた(現在では洋綿に対し和綿とよばれます)を、木更津の農家さんが栽培していたものを受け継ぎました。自家用のふとん綿のためにわたを作っていた明治生まれのおばあさんに、伝統的な『灰まぶし』、大麦の刈り取り前の畝間にまくこと、綿には男女があり間引くときは両方まぜて間引くこと、摘芯や脇芽の除去が必要なことなどを習い、踏襲しています。

畑の手入れ

双葉のころから順次間引きをします。最終的には株の間隔を握りこぶし1つ程にします。また、手入れで欠かせないのが摘芯です。綿の木の高さがひざが隠れる程になったら、茎の先端を摘んで生長をおさえ、養分を実がなる方へとむかわせます。

綿の収穫

収穫は9月から。収穫した綿は干してから収納します。

綿繰り

収穫した綿には種が入っており、この種を取り除く事を綿を繰る、道具を繰り台といいます。この道具は以外と使い方がむずかしく、調整が不備だと、キイキイ、ギシギシとすごい騒音を出します。

綿打ち

綿繰りした綿は一度打ちほぐしてやりますが、機械化以前は木製の弓に張った弦をはじいて綿を飛ばして作業をしてました。綿打ちが終わると、一升ますをひっくり返して、打った綿をのせ、箸を芯にしてまるめて、よりこという綿の棒を作ります。

糸紡ぎ

かつて糸紡ぎは女性の夜なべ仕事でした。夕飯が終わると、あんどんのわずかなあかりの周りに集まって糸を紡ぎました。

藍染め

藍染めは特別な設備と技術を要するので家庭では染められず、紺屋(関東ではこんや)へ出してました。

機織り

当館の機織り場には色々な織り機があります。絹を織った大きい機、絣を織った小さい機、現代の住宅事情に合わせたサイズの機、結城紬を織った機、麻を織った機等々。織物の設計や縦糸の準備から学ぶことができます。手織りをしていた人を訪ねてまわった事があります。幾人かの方に会えましたが、大半の方の機道具はなくなっていました。農家が伝統的な形式の家屋を捨てて新築・改築すると、土間も、縁側も、機織り場もなくなり、機織り機は行き場を失って雨ざらしになり、焼却となってしまうのです。